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2013年7月21日AM11:45

7月21日(日) 午前11:45 ラテが虹の橋を渡りました。
9歳と3ヶ月でした。


それは突然で、あまりに呆気なく逝ってしまったラテ。
でも、落ち着いて考えると、ラテが亡くなるまでの何日間かは、全てラテが段取りを決めていたのかと思うことばかりなのです。
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足にできた腫瘍を切除する手術を受け、術後の回復があまりよろしくなかったため病院へ。
体調不良の原因は術後に飲んでいた抗生物質のせいだと思っていた私は、薬を中止してもらうことに。
その時ちょうど切除した腫瘍の病理検査の結果が出ていました。
検査結果は血管肉腫という悪性腫瘍。
内臓からの転移で足にできた可能性もあるため、抜糸をするタイミングで内臓のエコー検査をすることになりました。
それが亡くなる4日前の夜の出来事。

血管肉腫という腫瘍のことを調べたところ、かなり厄介な腫瘍であることが分かりました。
内臓に腫瘍ができていないことを祈るばかりでした。


そして亡くなる当日。
抗生物質をやめても体はだるそうだし食欲は回復しないし、水ばかり飲む。
おまけに何も食べていないのに体重が増えていた。
怪しい… 朝一で病院へ。
すぐに腹水が溜まっていることがわかり、先生が慌ててエコー検査を開始。
「何も見つからないでほしい。」と祈っていましたが、明らかに先生の様子がおかしくなりました。
「あぁ、見つかっちゃったんだな。」ってすぐに察しました。

腫瘍はラテの心臓にできていました。
血管肉腫のことは一応調べていたので、このあと先生から説明されることは何となく予想はつきました。

「できるだけラテと一緒にいる時間を作ってあげるように。」と言われ、抗がん剤のことも説明していただき、自宅で呼吸が苦しくなった時に使うレンタルの酸素ルームのことなど、いろいろ説明していただきましたが、あまり覚えてない…
この体調が続くとこの先あまり長くないと知らされ頭は混乱していました。
ただ心強かったのは、いつもお世話になっている先生が腫瘍科の先生だったこと。
2時間近く病院に滞在し、注射を3本打ってもらって、酸素ルームの手配をしてもらって、翌日また診ていただくことになり帰宅。


家に着いてほんの10分ほどでしょうか、ラテが床にぐったりとしてしまいました。
そして伏せをしたままウンチとオシッコをしてしまいました。
その日の朝までちゃんとトイレでオシッコしていたのに、急に力が抜けてしまったように見えました。
病院へ行っている間お水が飲めなかったので、ラテの口元にボウルを持っていきお水を飲ませたところ、自力でたくさん飲みました。
ラテをベッドに寝かせてあげた直後、突然呼吸が乱れ始めました。
両親がラテの名前を呼びながら体を触り、私は慌てて病院の先生に電話を掛け。
そして、先生から対応方法を聞いている間に呼吸が止まってしまったのです。
本当にあっと言う間の出来事でした。

病院で待っている時間、姉に「ラテの体調がよくないから会いに来て。」と連絡していて、姉夫婦と従姉妹のTちゃんがこちらへ向かっている途中でした。
あと20~30分で大好きな3人とカプエスに会えたのに。
ラテは待つことができませんでした。


どうしてあんなに急いで逝ってしまったんだろう。
後から病院の先生とお話ししたのですが、あの日のラテの状態では今日明日何かが起こる状態ではなかったとのこと。
確かに病院では、私の膝の上にお座りしてしっかり前を見ていたんです。
そして先生は「ラテは何でも分かっていて、みんな騙されたのかも…」と。
考えれば考えるほど、ラテが色々なことを考えて出した結果だったのだと思えてしまうのです。



そもそもの始まりは、足の腫瘍を見つけた時からだと思う。
たまたまサマーカットにして、たまたま太ももを触って、たまたま違和感があることに気付いて。
病院で診てもらった翌週には切除手術を受け。
先生は、この手術をする前にエコー検査をしなかったことを悔やんでおられましたが、それもラテが仕組んだこと。
先にエコーで心臓の腫瘍が見付かっていたら手術はしなかったとおっしゃっていましたが、病理検査をして腫瘍の種類を知らせたかったんじゃないかな。
亡くなる当日病院へ行ったのも、心臓に腫瘍があることを知らせたかったから。
理由が分からずに死んでいったら私がどんなに辛い気持ちになるかわかっていたと思う。

あの時病院で本当の姿を見せなかったのも、家に帰りたかったから。
具合が悪かったら入院になって帰れなくなってしまうのも分かっていたはず。
大好きなお家で、大好きなお父さんとお母さんに見守られたかったから家に帰るまで頑張ったのでしょう。

最後にお水を自力で飲んだのは、私に褒めてもらいたかったからだと思う。
いつもお水を飲むと「いっぱい飲んでお利口さん!」って褒めてあげてたから。
あの状態でラテができた唯一の褒めてもらえることは水を飲むことだったんだと思う。

私が電話中に息を引き取ったのも、電話の向こうの先生に知らせたかったんじゃないかな。
先生にはいっぱい助けてもらったから。
電話をしていれば、私も大パニックを起こさないと分かっていたはず。

死を急いでしまったのも、私や家族に看病をさせたくなかったから。
私は前々からずっと、ラテが闘病で苦しむ姿を見たくないと思っていたから。
ラテが病気で苦しむ姿が記憶に焼き付いてしまうのが本当に嫌だった。

私に心の準備をする時間もくれなかったのは、心の準備をするまでに私が悩んで泣いて苦しむことを知っていたからだと思う。

最後の日もラテが決めていたに違いない。
家族が家にいて、大好きな人たちが来ることができて、自分の死をすぐに知らせることができた日だったんだと思う。


そして、私の心に引っかかっていたことがありまして…
それは病院でラテの心臓に腫瘍があると分かった時、私は「苦しむくらいなら早く楽にしてあげたい。」と言ってしまったんです。
他の飼い主さんだったら、1日でも長く生きて欲しいと願うのかもしれないとか、その言葉を理解してラテは急いでしまったのかもしれないと感じていました。
なんであんな酷いこと言っちゃったんだろうと後悔していたんです。
でも、ある方から「それはラテちゃんに言わされちゃったんだよ。」って言われました。
確かにあの時の私は少しおかしかった。
今まで病院でどんなことがあっても泣いたことはなかったのに、急に涙が止まらなくなってその言葉を口に出してしまったんです。
きっとラテに言わされちゃったんだと思います。



姉には、「ラテは体が動かない分、頭をフル回転させて色々考えていたんだよ。」って言われました。
だから最期まで物分かりが良くて、全部自分で決めちゃったんだね。

本当にラテはお利口さんだよ。

大病するのは決まって私の厄年の時だったし。
きっと私の身代わりになってくれてたんだね。

ちっちゃい体で何度も病気して、本当によく頑張ったと思う。
9歳まで生きることができたのは、奇跡だったのかもしれない。

最後に最上級の 「ラっちゃん、お利口さん!」って言ってあげたい。
足元でクルッとお回りして喜んでくれるかな。




月曜日に火葬が済み、ラテはたくさんのお花に囲まれてお家にいます。
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ラテの訃報を聞いて駆け付けてくださった方々や、電話やメールで連絡をくださった方々。
皆さんに温かいお言葉を掛けていただき、一緒にラテの死を悲しんでいただいて本当に本当に嬉しく思います。
ラテを通じてたくさんの優しい方々に出会えて幸せです。
ラテを可愛がってくださった皆さんに感謝いたします。

ラテは抱えきれないほどの楽しい思い出や、愛情を持ってアルじぃさんのいる天国に旅立ったと思います。




面倒見のよかったラテ姉さんは、今でもコナを守ってくれていますよ。
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コメント欄、開けておきますのでよろしければラテに「お利口さん!」って声を掛けてあげてくださいね。
by latte-1 | 2013-07-25 00:32 | dog


*Latte*       (JRT/2004.4.7/♀)     *Blend*      (Cat/2009.11/♀)     *Kona*  (Poodle/2011.2.20/♀)


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